歴史ある三河万歳
万歳のおこり→今から500年位前玄海というおぼうさん
が、今の別所来たことから始まったといわれています。
1467年から1477年までに応仁の乱という戦いが、始ま
りました!苦しんでいる人のために玄海は、国々の平和・
人々の幸福のために各地を歩き回り万歳を教えたり人々
の前でおどったりしてみんなに楽しみをあたえました。
万歳の発展→別所村の人々は今までの仕事ができなく
なったので玄海から教えられた万歳を勉強し万歳師とし
て活やくしました。万歳師は武士が戦いでけがをしない
ようにお祈りをしました。万歳師は活やくしただけでなく
徳川家康が勢力をのばしていくにつれて活動はん囲を
広げていきました。
大行日吉法印はどのように亡くなったのか?
 大行日吉法印は、自分の命はもう長くないと自覚し、墓に穴をほりそこに木の箱
を作り自ら木の箱に入りすずが鳴り終わったら土をかぶせてくれといいまし
た。1597年に亡くなりました。今でも、1年に1回日吉の祭りをしてお花がそなえ
られて大切にされています。
大行日吉法印はどのような人なのか?
 玄海という万歳の舞を広めた人の後つぎをした
人です。 この人は右手にすず、左手にじゅつを
もっていました。  
←この写真は、大行日吉法印のお墓です。
豆知識@
応仁の乱とは?→都に死者があふれるとい
う大ききんが起こった数年後25万もの兵が
京都に集まって戦いあった。この戦いの事を
応仁の乱といいます。
豆知識A
玄海とは?→玄海は三河万歳
を始める前、熱田薬師寺の座主
あじゃりという高い位を持つお
ぼうさんでした。