大正2年(1913)、今の愛知県半田市で生まれた新美南吉は、早くから創作を行いました。
19才のとき(昭和7年・1932)、『ごんぎつね』が雑誌「赤い鳥」に入選しています。
その後、東京外国語学校英文科を卒業し就職しましたが、病のためふるさとに帰ってきました。
そして、昭和13年(1938)4月から5年間、安城高等女学校で教師をしていました。
その間に、童話『おじいさんのランプ』『牛をつないだ椿の木』や多くの詩を作りました。
つまり、29才の短い生涯を閉じてしまう南吉にとっては、安城高等女学校で教えながら創作していたころが、最良の時代であったと思われます。
安城高等女学校は、昭和23年(1948)に学制改革により県立安城高校となりました。
その後昭和54年(1979)に赤松町へ移転しました。
桜町小は、昭和55年(1980)に南吉ゆかりのこの地に創立されました。
西暦 | 年号 | 年齢 | で き ご と |
1913 | 大正 2 | 0才 | 7月30日、愛知県知多郡半田町岩滑で生まれる。 本名は、渡辺正八(しょうはち)。 |
1917 | 大正 6 | 4才 | 母(りゑ)が病気でなくなる。 |
1919 | 大正 8 | 6才 | 父が再婚。 |
1921 | 大正10 | 8才 | 母の実家新美家の養子となり、新美正八となるが、4ヶ月ほどで生まれた家にもどる。 |
1932 | 昭和 7 | 19才 | 『ごんぎつね』が雑誌「赤い鳥」に入選する。 このころより、南吉(なんきち)というペンネームを使う。 |
1935 | 昭和10 | 22才 | 東京外国語学校に通いながら、童話をたくさん書く。 |
1936 | 昭和11 | 23才 | 東京外国語学校英文科を卒業、就職。 病気のためにふるさとに帰ってくる。 |
1938 | 昭和13 | 25才 | 安城高等女学校(今の県立安城高校)に赴任。 1年の担任となり、英語、国語、農業を教える。 |
1939 | 昭和14 | 26才 | 生徒たちの詩を集め、生徒詩集第1集「雪とひばり」を発行したが、戦争中で紙不足のため、第6集「星祭り」で終わる。 |
1941 | 昭和16 | 28才 | 安城町新田の大見坂四郎(おおみさかしろう)の家に下宿する。 このころより病気が悪化する。 |
1942 | 昭和17 | 29才 | 10月、第一童話集『おじいさんのランプ』を出版。 この年、童話や詩をたくさん書く。 |
1943 | 昭和18 | 1月、このころより病気が重くなり、学校を休む。 2月、退職する。 3月22日になくなる。(29才7ヶ月の人生) |