中狭間(なかはざま)遺跡について

 <資料>「中狭間遺跡」 安城市埋蔵文化財発掘調査報告書 第6集 平成12年3月発行

 

桜林小学校は,1981年(昭和56年)4月1日に市内17番目の小学校として開校しました。この桜林小学校が建築された土地は,今から約1700年前にあった中狭間(なかはざま)遺跡と呼ばれる遺跡の中心に位置しています。
桜林小学校周辺航空写真 桜林小学校周辺平面図

  

中狭間遺跡は,弥生時代中・後期を中心とした古井(ふるい)遺跡群に含まれ,付近一帯は矢作川の右岸に広がる沖積低地(流水によって土砂が積み重なってできた土地)の西の端にあたり,いまでは周りは排水路の発達した乾田(水はけが良く,すぐ乾く田)地帯となっていた。
 調査当時(1979年:桜林小学校が建てられる2年前)は,高低差のほとんどない土地でしたが,それより20年ほど前までは,周りの田畑より60〜120pほど高い畑がところどころにあり,畑では綿や桑・サツマイモなどをつくり,低い乾田
でイネをつくっていました。
影の部分の土地を発掘しました 発掘作業1

 

このあたり一帯は遺跡がたくさん埋まっているところで、そのうちの中狭間遺跡の中心に,桜林小学校が建てられることが決まり,それに先だって遺跡の発掘調査が1979年に行われました。
 この調査は,A地点(今の体育館あたり)B地点(今のB棟1階家庭科室あたり)C地点(今の職員室あたり)D地点(今の東門あたり)の4カ所を中心に,発掘が行われました。また,土地を測ったり,印をつけていくための基準点を今のプールの北側に決めて行われました。
発掘作業2 高杯


 調査は1979年(昭和54年)の10月から12月の2ヶ月間,多くの人々の手で行われました。
調査を進めていくうちに,4地点ともにたくさんの弥生式土器や木製品・そのかけらがみつかりました。これらは,今から1700年前頃からもう人々がここに住んでいて生活をしていた証拠です。発掘された土器は煮たり炊いたりする道具や食器、液体・粒を保管する容器として使われていたからです。
C地点発掘状況 鉢・器台


また,A地点からC地点にかけて木製品(杭や板)がたくさんみつかったことから,水を流すための水路がつくられていたことや,建物があったことがわかります。
C地点付近立杭出土状況 竪杵


 また,D地点からは,木製品や土器,円形や方形の穴がたくさん見つかりました。これは,高床式の建物が建てられ,杵(きね)鍬(すき)などを使って米作りが行われていたことが推測できます。また,D地点ではA〜C地点に比べて少し高くなっていて,そこに人が住み,稲作用の水路が引かれ,近くには水田もあったのではないかと思われます。
膝柄股鍬 一木鋤
B地点からの梯子出土状況 つぼ


 桜林小学校が建てられる2年前に中狭間遺跡の発掘調査が行われ,大昔のことが分かってきました。
 発掘調査が終わり,中狭間遺跡の上に土が約2mの厚さに盛られ,2年後の1981年(昭和56年)4月に桜林小学校が開校しました。2000年(平成12年)には20周年を迎えました。
D地点の柱穴出土状況 C地点の立杭状況