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二子古墳・碧海山古墳・堀内貝塚・子供薬師
所在地:桜井町二子5〜16 :国指定史跡
全長81m、前方部の高さ7m、後方部の高さ10mの古墳時代前期の前方後方墳です。台地の端に沿って造られており、前方部は南に向いています。 古墳の東の低地には、二夕子遺跡・宮下遺跡などの「古井遺跡群」がひろがっており、古墳築造当時は、沖積低地にムラがひろがっていたことがわかります。 この古墳を造るのに必要な土は、5万3000立方メートル以上と算出されており、小型のダンプカー1万台分にもなります。 矢作川流域では、吉良町の正法寺古墳(全長89mの前方後円墳)についで、2番目に大きな古墳です。 この古墳の西側(剣道と古墳の間)の低い所は、周濠(しゅうごう)の跡です。 |
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所在地:桜井町干地15
墳丘の東と北側のすそは一部削られていますが、さしわたし南北22m・東西17.5m・高さ4mの円墳です。直径に対して、高さが高いことと、墳頂の平らな部分が大きいことが古墳の特長です。横穴式石室が普及する前の、古墳時代前期の古墳であろうといわれています。 明治時代に瓦土をとるために、墳頂に穴を掘ったといわれており、現在もその跡が残っています。南側には「碧海山古墳」の石碑がたっています。 |
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所在地:堀内町羽開道46
堀内の大イチョウと道をはさんで斜め向かいに、「古跡 貝塚 桜井村」の石碑が立っています。1972年の道路拡張工事に先立つ調査でみつかった貝層の断面が、コンクリートで固められたガラスの窓からみられます。 開析谷に面した洪積台地の端に、今からおよそ2700〜2500年前、縄文時代晩期中頃の人々が生活していた遺跡です。貝層は厚い部分で150cm、広がりは崖に沿って幅約20cm、奥行約8mにわたっています。 貝塚には、ハイガイを中心に、カキ・アサリ・ハマグリ・カワニナ・アカニシなどの貝殻類にまざって、シカやイノシシ・ノウサギなどの動物の骨、クロダイ・フグ・スズキ・ギギ・ボラ・フナなど魚の骨、魚をとる網に使う石錘・骨製の釣針・打製石斧・磨製石斧・石鏃・貝製の腕輪・石剣・土偶なども出ています。 最近の発掘によって、埋葬された人骨が多く出土しています。 |
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所在地:堀内町羽開道
←お堂の中の様子 |
この薬師さまは、堅谷山(かたやさん)堀内院瑠璃光寺(るりこうじ)薬師如来といいます。昔、草刈りの子供が藤池の底に沈んでいるのをみつけ、この地に安置したと伝えられています。毎年11月23日に、子供たちが境内に集まって火をたき、おこもりをするならわしが今も続いています。特に、子供たちがお守りをする由来から「子供薬師」とよばれ、子供の健全な成長を願って、深く敬われています。 この堀内薬師堂は慶長年間(1595〜1614年)の創建と伝えられていますが、詳細は不明です。現在のお堂は、昭和58年11月に修復再建したものです。 |