校歌エピソード 愛唱歌「季節の丘」から校歌へ
                                                               岩間 悟     
明中生の愛唱歌として、生徒の手によって作詞された「季節の丘」は、今、本校の「核」=校歌として親しまれている。
 「校歌があったら」「校歌が欲しい」との声が高まったのは、昭和三十年代に入ってからである。
(それまでも話題になったこともあったが具体化することはなく立ち消えていた)
 従来の遠足、校外学習は徒歩で行うものとされていた。乗り物といえば電車である。それが交通機関の発達に伴い、
バスを利用した校外学習に変わった。(修学旅行も電車の乗り継ぎが、バスの周遊となる。)こうした機会に必ずといって
よい程に、バスガイドさんから求められることは「校歌の合唱」である。その度毎に「校歌はまだありません」と答えざるを
得ない生徒たちのさみしさ(悲哀感)は「校歌がほしいなあ」「校歌を早く作って」との希望を強めた。その希望は「われわれ
の手で明中の校歌を作ろう」と発展した。「有名な人の作った校歌でなくてもよい、明中生であるわたし達が、気軽に口ず
さめる歌ならそれでよいではないか」「明中生みんなに分かり易く、そしてみんなで歌える歌を作ろう!」と・・・・・・。
 全校生徒から歌詞が募集され、数多くの作品の中から選定されたのが「季節の丘」である。旬日を経ずして曲が付され、
明中生の愛唱歌「季節の丘」が誕生した。
 以後「季節の丘」は、明中生の愛唱歌として、卒業式にも、そして学校行事その他あらゆる機会に全校生徒は絶唱した
ものである。
 月・年を重ね、再度赴任したとき「季節の丘」の歌題に出会うことなく、「校歌」として歌い継がれている現実に直面して、
感無量を覚えるのは小生ばかりではあるまい。