1583年(天正1年)


1598年(慶長3年)

1600年(慶長5年)

1603年(慶長8年)

1615年(慶長20年)




1616年(元和2年)

1617年(元和3年)

1623年(元和9年)


1636年(寛永13年)

1641年(寛永18年)


1652年(承応1年)


1672年(寛文12年)

徳川家に仕えた石川信定の長男として和泉町に生まれた。

徳川家の家来となる。

徳川に従い18歳で関が原の戦いに出た。

徳川が江戸幕府を開く。

大阪夏の陣で戦いの手柄を立てたが、家康の命令を破っていたので、ちっ居(家から外に出てはならないこと)を命ざれる。このときよりかみをおとして学問の道に進むようになった。(豊臣氏滅びる。)

家康が亡くなる。

広島のあさのこうに学者として使えた。

林羅山のすすめで藤原惺窩とあい朱子学を学んだ。

京都に戻る。

詩仙堂が出来あがりここで住むようになった。詩仙堂にかかげる36詩人を選びその詩を書きがざんで隷書の字を得意とした。

故郷和泉に住むことを願い出たが許されなかった。

5月23日詩仙堂で亡くなった。(90歳)

私たち2班は石川丈山の一生・歴史について調べました。
その中でも詩人として行ったことについてみなさんにお伝えします。丈山は詩人としてたくさんの詩や隷書を書きました。
こちらが石川丈山の年表です↓

石川丈山は武士をやめ詩人として活躍しました。その中でも詩や隷書を数多くかきました。

隷書はアレンジしてある物がいっぱいあるのですごいですね。(例えば↓)

                          

本当の字は「勿」ですが、線が一本たしてありますね。

石川丈山
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詩人としてのすばらしさ